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昔の将棋世界を読んだ |
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先日古書店で100円で投売りされていた将棋世界を買った。1988年2月号だから17年も前のものである。他の号もあったがこの号を選んだ。なぜかといえば芹沢博文が死んだすぐのものだったから。江國滋の弔詞が掲載されている。泣ける。
芹沢は才能と努力でA級へと駆け上がった。24歳での到達だから相当凄い棋士だった。が、弟弟子中原誠に名人の器を見てしまい、自分の才能を見限り、将棋の普及へと活動をシフトしていった。世間と将棋界の違いに敏感で、ことあることに棋界の宣伝に奔走した。棋界がまだ世間から見放されていないのは、もしかすると彼の活動の下地によるものだったといえなくもない。(→将棋戯言 芹沢九段のこと)
芹沢の記事の他にも懐かしいものが満載だ。って当たり前ですけど。
辛口討論会というものが行われいる。メンバーは河口俊彦(当時六段。ちなみに七段になるのに16年掛かっている)、石堂淑郎(脚本家?)、山田史生(読売記者)。このころは羽生が台頭して間もない時期(17歳)だ。この時期からすでに新人は感情を出さないので観戦記が書けねー、とかいってんのね。唯一村山聖だけは興味深いだとさ。あと公開対局を急げ、とか順位がなかなか入れ替わらない順位戦は改善すべきだとか。なんか今といっていることがほとんど変わってない。つまり進歩がなかったということだ。泣ける。
しかし棋界の都合のいいことを書かない保守的な機関紙だったと思い込んでいたが、こんな記事が掲載されていたこともあったんだな。ちなみに17年前中学2年だった私はこの号を読んでいたんだよね。なぜそう思ったかというと、大好きだった漫画「と金横丁」のネタに見覚えがあったからだ。
なにげにプロアマ戦も掲載されている。アマは「大阪将軍」の異名を持つ沖元二。アマ沖の差し回しが巧妙で優勢だったが終盤見落としで敗れている。
羽生は17歳だがこのときからすでに注目されている。このとき天王戦優勝。流石だといえよう。でも当時われらが谷川浩司も25歳! 写真も当然載っているがいや若いですな。トップグラビアには新春特別対局ということで谷川王位と森内新人王が対局した姿が。森内、あまり今と姿変わってないよ(汗)。見出しは「森内、堂々谷川寄せきる」。
グラビアページに初女流名人位挑戦を決めた清水市代を発見。当時19歳。17年も女流トップに君臨しているのか。だったらもうそろそろ男性プロといっしょにやってもいいんじゃねえの、とか思うが。
楽しめたのが奨励会のページ。今トップで活躍している人も当時は奨励会、研修会に名を連ねている。今旬の瀬川さんも17歳1級で名前が載っているね。丸山17歳二段に奮起を促す奨励会レポートも。当時から大器と呼ばれていたようだ。ふーん、そうだったか。
そして連載漫画「と金横丁」。週刊将棋の「せっとあっぷボーイズ」とならんで単行本化を激しく希望しているわけだが、やはり面白いなと。
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改めて読むと現在の将棋世界よりずっと自由にやっているような感じがした。当時、編集で一番力のあった人が誰か知らんが、よくやっている。この時期だけかもしらんけど。
ファンの声を反映させる紙面作りもいいけれど、昔の将棋世界を読み返してみるのもよいヒントになるんじゃないかと思うね。特によく売れた時期の将棋世界がいいと思うよ。