芹沢九段のこと


 いつかは業績をまとめたい将棋指しが何人かいますが、その第一候補は芹沢博文九段なのですね。怪しげな逸話が多いためか、まともに評価されない不遇な棋士でした(もっとも将棋界は過去となった棋士全般についてまったくといっていいほど省みません。商売になりそうな高段棋士ばかりが棋士ではないのにね)。順位戦では4期連続昇級を果たすほどの棋才を持ちながら生涯タイトル、棋戦優勝に恵まれませんでした(高松宮賞争奪選手での優勝一回だけ)。

 A級から落ちると、将棋界を盛り立てる立場に活動拠点を移します。「アイアイゲーム」という当時の人気番組にレギュラーとして参加、ことあるごとに将棋界のアピールをしていました。将棋の日の制定、実は彼が企画運営をしているんですね、連盟理事時代に。赤字を出して会長大山15世が怒り、首にされちゃったらしい。現在でも細々と続けられている将棋の日ですが、彼がずっと舵を取りつづけていたらどんなに面白くできたでしょうね。海外でのタイトル戦実現も芹沢が最初に仕掛けたことです。ラジオのレギュラーや、エッセイの執筆と、将棋連盟の広報として大活躍して来たことは忘れてはならないでしょう。

 将棋界のためにみんなが口をつぐむことも表に立って批判もしています。例えば負け越してもぬくぬく生活できる順位戦の異常さを身をもって証明する、と順位戦を全敗してみたり。棋士仲間からは随分嫌われたんだろうなと思う。

 また、河口俊彦がいうに、芹沢には棋士を見る眼がなかったと故人が亡くなってからのたまっているが(生きているうちにいえないあたり、彼の立場がわかるね)、なかったわけではない。例えば才能からいえば羽生より阿部のほうが上だと評価したのは、「正統派」として上だ、ということがいいたかった訳ね。当時羽生の将棋は逆転の多い、品のない将棋だったのですよ。対して阿部の将棋は心が通った(結果より中身を重視した)将棋だったのだ。悲しむべき(?)は正統派より実戦派のほうに時代はシフトしていったということだ。正統派は勝負の過程の素晴らしさを求める。したがって寄せといった瑣末には大して重きを置かないのだ。実戦派は、結果がすべてだ。どんなに構想が素晴らしかろうが、負けては無意味。故にとりあえず勝てばいい、という志の低い棋士が出てくる。妥協の将棋だ。そういう風潮が我慢できなかったんだと僕は思う。その気持ちはよく分かる。谷川浩司を非常に高く評価していたのはつまりはそういうことだ。

 焼酎(だったかな)のCMで美味そうに酒を飲む姿が今でも印象に残っています。あそこまで将棋のこと将棋界のことを思い、行動できる人はもう出ないでしょうね。

参考:芹沢博文九段履歴(日本将棋連盟


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初版公開:2004年2月14日 最終更新:2005年10月8日
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