勝利と美意識


 河口老子曰く「終盤で勝つ順が一つしかない場合、プロは誤る事はない。しかし、勝つ順がたくさんあるときどの順を選ぶかによって棋風が現れる」と。最短距離を目指すのが谷川王位や郷田九段といった美学派であります。その局面で最善を尽くすその姿勢は、真理を求める数学者のように厳密で、曖昧さを許さない。彼らが残す棋譜はまさに、芸術といえる代物であるといえましょう。ただし、彼らも人間なので度々読み抜けがでて自滅することがある。調子がよいと素晴しい将棋で勝ちまくることができるが、悪いと連敗に繋がってしまう。記録は残しづらいが、記憶には残る将棋指しといえるかも。

 一方、将棋というのは対戦者がいるのが前提である。対戦者は人間であり、人間である以上誤りを犯す。故に、残り平均して80点ぐらいの手を繰り出しつづければ、まず負けないというのも事実である。時間が掛かっても確実に勝利を物にするタイプですね。これはプロ棋士ほとんどの傾向といってよいでしょう。美しい棋譜を残すよりも、勝利第一主義です。勝たないと生活できませんから当然といってよいでしょう。さらに確実に、優勢になったら、自分から打って出ず、着実に手を重ね、相手のやる気を殺ぐことに心血を注ぐ指し方も有力です。この指し方は激辛流と呼ばれ丸山棋王や森内名人などがその代表格といってよいでしょう。勝率は高くなりますが、ドラマがないので観ても面白くないことが多いです。

 微差を守って勝利を得るのは高い棋力がないと難しく、その意味では確かに激辛流も一理あります。ただ不思議なのは、激辛流将棋指しのタイトル奪取&キープ率が意外と低いことです(大山一五世名人除く)。逆にトーナメント形式ではその威力を発揮している。両者の違いは持ち時間の長さですよねえ。タイトル戦は二日制で、持ち時間もたっぷりあります。ですから時間が余計にあると、華麗に決めてやろうか、と思ってしまうのかもしれないですね。せっかくの桧舞台だし、注目されているしとか考えてしまって、あげく決めそこなうことが多いのかもしれない。逆にトーナメントだと、一日で決着ですから、いつもと同じ将棋になります。ですから個性が出やすいというのも理由の一つになるでしょうね。

 観戦していて楽しいのはやっぱり地味な将棋より動きのある、派手は将棋ですよね。いやプロっぽい渋い将棋もそれはそれで嫌いではないのですが、そういう将棋ばかり見せられても詰まらないですし。お金を貰って将棋を指すんですから、少しは観戦者の視点も考慮にいれて指してもらわないとねえ。名人戦、羽生、佐藤どちらがでてくるか分かりませんが、前回より盛り上がるような将棋を期待します。


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初版公開:2003年3月22日 最終更新:2003年3月29日
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