名人戦の注目度

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 昨日(4/12)から始まった名人戦も、この雑文が書きおわる頃には結果がわかるだろう。将棋タウンの速報を横目でちらちら見ながら明日(4/14)にアップする雑文を書いているところである。それにしても、棋界最高峰の決戦だというのに、この静けさはなんなのであろうか。仮にも、名人戦である。仮じゃなくても名人戦である。野球でいうところの日本シリーズ、サッカーでいうところの首位最終決戦、相撲でいうところの千秋楽優勝決定戦なのである。入場券は即日完売、満員御礼の垂れ幕が下がるところである。それなのに。もっと新聞雑誌は騒いでいいのではないか? マスコミは特集を組んでなくてはおかしいはずだ。谷川の今までの歩み、丸山の業績、名人位の歴史などおもしろい記事はたくさん書けるはずだ。街中熱気にあふれ、やれ、谷川がんばれ、名人負けるな、ひいき同士がつかみあいなぐりあい、警察のお世話に成る始末。片隅ではトトカルチョが行われ、飲み屋の話題は将棋で持ちきり、ってな感じにならないのはなぜなんだろう。くどいようだが、棋界最高峰決戦なのだぜ、名人戦は。

 「おいおい、時代錯誤もいいところだよ、いいかい、よくお聞き。こんな娯楽の種類が豊富な日本だ、いい年こいたおっさんふたりが、パチパチ遊んでいる室内遊戯だぜ、もっとほかに遊ぶものあるじゃん」と、いう声があるのは重々承知している。なんで今更将棋なんだ、といわれれば答えようがない。そうなのだ、「今更」って形容されるような状況に将棋というゲームは陥っているのである。

 娯楽の一翼を担っていたのも今は昔。戦後娯楽の少なかった日本人は、将棋をよく楽しんだそうだ。あのころは選択肢が少なかった。必然的に将棋で遊んだのだろう。時代は流れ現代。いつまでも将棋を楽しんでもらえるとばかり思っていた将棋界は、国民が将棋からべつの娯楽へと流れていくのに気づきもしなかった。気づいたかもしれないが、いままで努力もせず、なるようにまかせていた運営がすっかり身に染みているので、手軽な手段で普及しようとした。やれ、将棋は日本の文化だから指そう!とか、行儀をしつけるに将棋はいいとか、頭が良くなる等、いろいろな理由つけた。でも、どうかんがえても、日本文化だから(ほんとに文化なのか?)といって、将棋を指し始める人なんているわけがないし、行儀が良くなることなんてあるわけない。だって負けて悔しいゲームなのだぜ。負けたら盤ひっくりかえしてあばれるのがオチだよ。頭が良くなる遊びやゲーム、学習法なんて他にもあるんだから囲碁はじめたっていいわけで。違うじゃん、将棋を普及しようと思ったら純粋におもしろさだけを伝えなきゃ。そんなおかしな宣伝文句で広めたって、底がしれているんだから土台根付かないわな。それがずーっとつづいているんだよ。将棋偏差値が昔に比べて後退している。だから最高峰の将棋内容を、だーれも理解することができない。もちろん素人がすべてわかるわけじゃないけれど、雰囲気さえつかめればもっと将棋に興味が行くと思うのよ。また、将棋指し(棋士なんかよりよっぽど魅力的な呼び名だと思う)自体の魅力も同時に伝える努力をしなかった。石田九段なんて最高におもしろいエンタティナーだよ。解説を聞いていると腹がよじれるぐらい笑える。メディア向けの人材はたくさんいたんだよ。なのに、まっとうな普及活動を怠ったから、いまの名人戦の注目度に繋がるわけで。たぶん森内閣の支持率以下の注目度だよ、たぶん。

 僕はほんとに残念に思うんだよ。最高の舞台がもっともっと注目を浴びて、みんなにおもしろさや、興奮を体験してもらいたいんだよ。一手ごとに形勢の変わるその激しさに、固唾をのんでほしい。負けを覚悟するときのあの顔から血の気が引く男の哀愁に涙してほしい。そしてそういう将棋指しの生き様を、もっと伝える努力をしてほしいんだよ。ねえ、聞いているのかい?


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初版公開:2001年04月14日 最終更新日:2001年04月26日
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