将棋連盟解体の日


 将棋連盟はそろそろ解散するべきである。経済団体として将来のビジョンを提示せず、結成時のお題目を後生大事にし、変革を試みもせず、安穏とやせ細ってゆくのに身を任せている姿は見るに耐えない。

 以前、名人といった一部の棋士に権力があった時代は英断というものがあった。関根十三世名人による、世襲名人位から実力制名人位への移行。お金がないのに将棋連盟の建物作り。現代は棋士総会という民主主義的堕落のため生まれ変わる力を失ってしまったようだ。どんな棋士であれ一票あり、改変することですこしでも利権が揺らぐとなれば、たちどころに反対の嵐。未来へのビジョンを打ち出し、あるべき将棋界の姿を主張しているのは米長永世棋聖ぐらいである。主張が妥当かどうかは別であるが、少なくとも現在の将棋界の立場を客観的に捕らえ、世界の情勢を鑑みながら改変しようとする意思を十分に感じられる。

 他の棋士たちは想像しないのだろうか。数年後、経済的やせ細りから、抱えられる棋士が激減、商品価値のある棋士だけが残ってしまうかもしれないということに。他の魅力あるゲームに道を譲らざるを得ない時代がくるかもしれないということに。将棋を指していればいい、という環境は遅かれ早かれなくなってしまうだろう、ということに。

 将棋だけしか能がない、というのなら経営者を雇うべきだ(もう散々いってきたことだが)。そして、将棋だけができる環境作りを考えてもらえばいい。そのために払うコストと将来の繁栄を考えれば、すぐにでも行うべきだと思う。少なくとも現状よりよくなるはずだ。いや、自分たちでやる、というのなら今後将棋連盟をどのように発展させていくか、ビジョンを見せて頂きたい。社長連中に対して永世名人に頭を下げさせればお金が引き出せる、といつまでも思っているようじゃダメじゃないですかね。

 将棋界以外に情報発信をしている棋士の中には、現状をやんわりと批判しているものがいないではない。たとえば文春の先崎のコラム。棋界では恵まれていると自分でいう先崎は羽生と棋界についての会話をかわしお互いため息をついた、と書いていた。しかし何を話したかについては触れられていない。愚痴っぽくなった河口俊彦も将棋世界では口篭もる。曰く「いってもしかたない」とか。本人に先はなくても将棋界は続いていくのである。ここでいわないでどこでいうのであろうか。年をとっても攻撃的でいる、というのは勇気、体力によほど自信がないと辛いとは思うけれどもね。とはいえ、日経新聞の夕刊に掲載されている王座戦観戦記(12月20日)で、よほど腹を据えかねたのか対局風景そっちのけで、棋界のふぬけ具合を憤懣やるかたないといった筆調で書いていたのは評価できる(だけど対局者にはいい迷惑だね)。

 遅かれ早かれ、新四段を養うことができず、ヒト切政策が施行される日が来るだろう。そのときファンは救ってくれない。自業自得だと笑われることは確実だけれど。

 どちらかしかないのだ、経営のプロに運営を任すか、代表者が運営のプロとして研鑚するか。僕の意見は、プロの経営者に任せるべきだと思う。視野の狭い棋士達に、将棋の手の先を読むことはできるかもしれないが、将棋界の行く末を読むことはできないだろうから。


TOP将棋戯言前の戯言次の戯言
初版公開:2003年1月11日 最終更新:2003年3月31日
Copyright © double crown
double crown(E-mail:doublecrown.under@gmail.com)
http://doublecrown.under.jp/
http://doublecrown.under.jp/shogi/0101.html