将棋棋士の名称の記載につく段位の意義について考えてみたい。現在でははっきり価値が混乱している。原因は段位を上げる条件が妙に増えたことに付随して、段位の意味が変化したことが考えられるだろう。
昔は順位戦という一元的な制度を基準にして段位が決定していた。クラスが上がれば自動的に段位が上がったわけなんだ。所属するクラスによって厳密に実力が分かれていた。と、いうか順位戦での実力が将棋指しの実力と見られていた。一年間コンスタントに実力が発揮できるかがポイントだ。そこにタイトル戦が付け加わる。順位戦と異なり、連勝体質の棋士に有利なトーナメント方式(がほとんど)で、その時代その瞬間に強い者が表せられる仕組みができてくる。もちろんそういう視点で将棋指しを評価するのも面白い。が、その強さは順位戦の強さとは異なるものだ。コンスタントに勝てるからといってまとめて勝てるとは限らないのが勝負の世界である。それなのにタイトルを奪取するとなぜか段位が上がる仕組みになっているため、低クラスなのに七段、八段という現象が生まれる。
一方、頑張ったで賞というわけで勝ち星が貯まると段位があがる仕組みがあるんだよな。誰から勝とうが一勝。どんな棋戦でも一勝。これでも段が増えてしまう。上記のようにコンスタントに勝たなくても、まとめて勝たなくても段位は上がるのだ。すでにこれだけで三つの異なる要素で段位が構成されていることに気づく。いわんや、段は上がるだけで下がらない(奨励会では下がることもあるのにね)。実力が落ちても肩書きは変わらないのである。実力社会と呼ばれる将棋界で唯一例外的な処理といえよう。
つーわけで、当初のもくろみからは大きく外れて段位というものは存在するのね。実力を知りたければもっと細分化した表示をしてくれないとわからないんですよ。順位戦クラス、タイトル戦最高ランク、勝敗数ぐらいは必要じゃないかなあと思うんですがね。それとも肩書きの段位に意味を求めちゃいけないんですかね>日本将棋連盟様。