安吾と将棋

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 「将棋の風景」という将棋に関する短文を集めた本に、坂口安吾の昔の文体つまり文語文体で書かれた「散る日本」が収められている。確か何かの文庫に収録されていたものを読んだことがあった覚えがある。けれどそのときに読んだ文章は現代語に改悪されており、当時の言い回しによる雰囲気が削がれていたように思う。

 坂口安吾はいくつか将棋にまつわる文章を書き残しており、彼なりの将棋観を散見することができる。ここでは「散る日本」からみた坂口安吾の将棋観を見てみよう。

 さかのぼること数十年、無敵と鳴らした木村名人が若武者塚田から挑戦され、慣れない短時間将棋にシクハクしていたときの頃。成績は挑戦者の三勝二敗で奪取される寸前。このところ勢いのない木村がどうカド番をしのぐかに注目が集まっていた。無敵と信じ囃し立てるファンは木村の逆転防衛を想像していたことだと思う。そこへ、坂口安吾はひょっこり現われ、対局者をじっと観察するのである。結果は名人投了で新名人が生まれたわけだが、安吾はそれもムベなるかなと見やっていた。安吾本人に棋力がないので将棋そのもので判断したのではない。ただ二人から片時も離れず、特に木村名人の所作を見つめていたのであった。その結果、木村には勝つことへの執念、欲望が失われていたことをはっきりと見て取れたというのである。

 事実、本局をある程度結論が出ている、しかも木村側が悪いとされている形で戦っている。絶対に勝つつもりならばそんな戦術は取るはずがない。それは木村が嫌った覇者の驕りそのままであった。そういう者が勝つわけはない。将棋というものは勝たなくちゃ意味がない。余裕などというものはないはずだ。全盛期の頃木村は「相撲では胸を貸す、つまりあえて不利になってから相手を倒すことで強さを誇るが、将棋では少しの損が負けに繋がるから、最初から全力でぶつかる」と語っていた。その姿勢が将棋にも対局姿にも現われていなかった。

 と、安吾は語るわけです。つまりだ、余裕なんぞ見せている暇なんかねえだろうよ、どんな手段つかっててでも喰らいつかんかい、格好つけてんじゃんねえや、といいたかったんでしょう。安吾のいう名人としてのイメージがぴったりだった丸山が名人位を奪取されたのは覇者の驕りだったのかもしれませんね。遮二無二戦わなくちゃダメだ、丸山! しょうがないとか、行儀のいいことばかりいってんじゃないよ。森内てめえ、という心構えが肝心じゃねえか、と安吾なら言うのかもしれない。

 安吾の価値観はいわゆる根源的、っていうか「格好つけんじゃないよ」ってことなんだと思うんですが、それができるほど人間って強くないんだよな。逆にそういったポーズを取る悲哀なんてのも人間らしくていいじゃないか、と格好つけたがる僕は思ったりします。


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初版公開:2002年9月12日 最終更新日:2002年9月21日
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