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書き手の誠実さとか

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 yomoyomoさんがAERAに堀口一史座の長考の話が載っているというので立ち読みして確認してみたんだが、なにか引っかかる。うーん。それはなんだろうなと思い自宅に帰って将棋世界2005年11号を読み直して得心した。堀口の長考内容がそれぞれで異なって書かれていたからだった。

 AERAでは長考の理由が「この形は後手(堀口側)の勝ちであると研究会で結論をだした形。だけど先手はそのことは知っているはず。なのにどうしてこの変化に飛び込んだのだろうか」と思ってその意図を悩んで長考したという。「で、自信がなくなった」そうだ。

 しかし将棋世界2005年11月号、河口俊彦の「新・対局日誌」にはこう書かれている。「本人に聞いたわけではないが、推測するにこの変化になってみて後手(堀口)の形勢が悪いことにを気づき、その対策に6時間の長考をしたのだろう(いろいろ略)」

 長考意図が異なって書かれているのである。なんだこれ。どっちが正しいのかしらん。

 前者なら堀口がこの局面に誘導した理由がわかる。後者だと理由として意味不明である。この角換わりは河口も書いているが徹底して研究されている戦型なので勝てる自信がないのに誘導するわけがない。ましてや順位戦にである。「悪いことに気づく」なんてレベルのミスをするのは非常に考えづらいのですよ、ええ。

 当事者じゃないので事の真相はよくわからんし、ある局面の形勢判断はすぐに変わってしまう昨今なので指し手についてはよくわからんけれど、河口がこの記事を推測で書いていることが注目されよう。彼が推測するのはかまわないが、そのあと真相をきちんとフォローするのは書き手として当然だと思うのだが。「なぜ負けと知っていながらあの局面に誘導したのか本人に聞きそびれた」なんて書くのは誠実さに欠ける。聞けよ。

 この記事の場合、まがいなりにも「推測して」書いたとあるが、これまでの対局日誌もそれに準ずるようなことをしてはいまいか。あたかも見てきたような、感想を聞いてきたがその実、その場の立ち会った奨励会員や観戦していた棋士、記者などの話を適当にまぜて書いているのではないか、という疑惑を持たざるを得ない。あと、自分の将棋界観に引き寄せて記事書くとかね。

 年寄りなのでしかたがないじゃないか、という向きもあるかもしれないが、将棋界の対局室や控え室のようすが掲載されていたものは皆無な状況なので、河口が書いたものがそのまま真実であるかのように取られてしまう可能性があるのです。誰も反論しないしメディアもないですから。今回はよい例でした(AERAの記事のほうが間違っている可能性も当然ありますけどね)。

 このあたりはよくいわれるようにネットやブログで棋士本人が情報発信するケースが増えてきたので、かなり是正されることだと期待していたりいなかったり。もっと対局風景なり背景なり棋士の思考なりの情報が表に出てくるといいなと。

 つかもう河口引退しろ。後釜に勝又を希望します。棋士で真摯な文章を書くのは彼ぐらいでしょう。あんまし強くない(失礼)けれど普及の熱意やまじめさを買います。

 なんてことを書き込みを見て思いました。まる。

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2005年10月31日追記:

もずさんの勝手に将棋トピックス - 堀口一史座七段が記録的大長考に堀口の長考内容を紹介した詳しい記事が載っていますね(汗)。週刊将棋の堀口コメントは知らなかった。つか、もずさんの記事を調べずにこんなネタ書くのは酷いですね。人のこと言えないッス。反省。


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初版公開:2005年10月29日 最終更新:2005年11月7日
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