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「建前」は破綻している

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 将棋を教育に使う、あるいは教育ツールの一つとして普及に使う米長会長の発想は「上から授ける」という昔のイデオロギーというか思想でありまず成功しないんじゃないかと、ぼんやり思うこの頃。

 さて。今まで将棋界のイメージを払拭するためにいろんな人が頑張って参りましたが、加藤一二三九段の待った事件を鑑みると、虚しいというか。「将棋は礼儀正しく指すので、教育に最適です」と掲げているが、これじゃあね。「棋士はすべからく礼儀正しき人、ではない」ってことが公(将棋界の外)にバレてしまった。もっとも加藤一二三九段は礼儀作法という意味では、空打ち、空咳、勝手に将棋盤を移動、相手の後ろに回る、相手の駒を頻繁に触るといった禁止事項を完全に無視しているまさにルール違反名人であり、そのムチャクチャ加減に棋界も見て見ぬ振り、というか係わりたくない、めんどくさい、くさいものには蓋をしろ的対応だったわけです。今回はテレビ棋戦で状況証拠も残っているため処罰に踏み切ったみたいだけれど、伏魔殿で行われる一般棋戦では、どんなことが行われているか想像するだに恐ろしい。

 年に10回程度しか行われない順位戦に遅刻してくる棋士、有名どころでは金沢孝史四段もいるしな。遅刻なんて礼儀的には失礼度数が高いと思われるけれど、ちゃんとできないようですよ。

 一部には礼儀正しい棋士もいるんですが、そういう棋士は例外でね。奇人変人非常識人の方が割合としては多い。そんな将棋界が礼儀を推して普及活動をしようだなんて、笑止千万なのではないかと思うけれどどうですか。

 そもそも奨励会自体もどうなんでしょ。精神的に本当に鍛えられるのかどうか疑問ですよ。礼儀正しさと勝負のギリギリの精神を両立させるのは心の負担は莫大なものになるんじゃないかと。そこを卒業するしないは別にして人格破綻が起こってもおかしくない、逆に破綻しない方が奇蹟なんじゃなかろうか、と思います。ここで将棋界の偏った思考が育てられると。

 学校と奨励会を両立させている棋士が増えたのは良い傾向だと思います。他の世界、他の考えを持った人たちとふれあって自分たちが如何に変な世界にいるかを自覚することができるでしょうし、そういう居場所があるのは気持ち的に大きな息抜きの場所になるかと。

 つーわけであれです、将棋は教育ツールではありません、たんなる遊びです。純粋にその遊びの楽しさを武器に普及に努めてくださいね>米長会長。


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初版公開:2005年6月12日 最終更新:2005年6月19日
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