原田泰夫の功績について


 将棋界の精神的支柱だった原田先生が亡くなった。ご高齢だっため覚悟はしていた。覚悟していたって悲しいものは悲しい。

 将棋指しとしても才能を発揮された。A級に通算10期が在籍したことがそれを物語る。27歳でA級入りし、また49歳に復帰しているのだから、あの飄々とした笑顔に勝負の鬼が身を潜めていたことは明白である。恐ろしい人だ。

 その上、将棋連盟の会長も務め普及にいそしみ、「3手の読み」という名言で、将棋技術を磨く指標を確立された。棋士の特徴を「〜流」となぞらえることで、ファンへの印象づけを行ったことも普段意識されないだけに、その普及効果の大きさを思う。谷川二冠の「光速流」や中原永世十段の「自然流」など言葉があるのとないのとでは印象が大きく変わったことだろう。

 そして僕が一番大きな功績だと思うのは、礼儀という空疎になりがちなよき伝統を体現し、またそれを後世に伝えようとしたことだ。原田は谷川を評して、

「 礼儀作法も実力のうちといいますが、谷川君の立ち居振る舞いは実にきちっとしている。ノブレス・オブリージュ(高い地位に伴う義務)を具現していますよ」

 といっている。noblesse oblige。頂点に立つものはそれなりの振る舞いをしなくてはならない。トップがだらしなくては組織も駄目だろうと判断されてしまうのだ。当たり前なんだけれど。人としてきちんとしろ、というのは言うのは簡単でも、自分がやるのは難しい。でも棋士なんていうのは逆にそういう美点があるからこそ、ファンから先生、と呼ばれるわけですよ。っていうかそうじゃなきゃ、将棋が強い世間知らずってことですからね。まあ、そういうわけで、将棋指しが恥ずかしいことをしないようにと、腐心されていたんだと思います。自分だけがよければいい、ってものじゃないのよってことよね。

 若手棋士の日記を読むと、東京の若手棋士の駄目さ加減がよくわかります。原田先生の遺徳は関西に受け継がれるのでしょうか。寂しいことです。


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初版公開:2004年7月17日 最終更新:2004年10月30日
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