礼儀にうるさい


 これは将棋に限らず、日本発の競技すべてに拘ってくるのかもしれないのですが、なぜこうも礼儀にうるさいのでしょうね。なんというか、将棋道っていうんですか、道。競技でありながら修行の要素があって、上下関係に厳しかったりするんですね。「教わる」という意識がどこかにある。こっちはただ将棋指したいだけなんだけど、どうも礼を尽くさないと駄目、っていう空気がある。

 たかが遊び、というと睨まれる。やっぱり遊びじゃん、とも思うけれど、そうじゃない。ここに日本人の秘密がある。っておおげさだな。将棋に限らず、あれだ、一対一で戦うとどうしてもその人の本性が全開になってしまって、よろしくないのだね。それがぶつかるんだから尚の事。上手くいかなかったら腹が立つ。遺恨になる。喧嘩の種になる。そこでだ。礼儀が出てくるわけだ。お互いの感情の爆発を、礼儀という形式で沈静化すると。そうすることで現実での衝突を防ぐ。日本は島国なので、追い込まれると逃げ道がなく、負けたほうが切腹とかしてたじゃない。でもさあ、そんなことばっかりやってたら人口減るし、恨みは買うしでいいことない。故にお互い許しあうルールというのが必要になったと。競技=武道などはそういう日本社会のルールの一端を担っていた、かもしれないな。

 その名残りが将棋にも残ってて、負けてもイライラして殴りかからないように、礼儀でもって昂ぶった感情をコントロールできるようにするわけさ。

 ちなみにその段階をクリアすると、純粋な将棋というパズルに取り組むようになるように思われる。今の羽生世代はおそらくそんなところにいるはず。

 将棋やゲームは、闘争本能の代理なわけだから、礼儀というのは人間の知恵ですな。でもその裏には人間や動物としてのギラギラした本能があることを忘れては駄目よ。


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初版公開:2003年8月23日 最終更新:2003年8月30日
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