「女流棋士の本」書評


 まず、ターゲットは誰なのか。それを問いたい。問い詰めたい。「女流棋士の本」と銘打つからには、女流棋士の世界がすべて包含されていないければ嘘です。女流棋士達の所属する女流棋士界の仕組み、歴史、女流棋士になる方法、現在の問題点、今後の課題、といった業界としての話がまずあって、その上に、女流棋士個人の話がある。双方揃ってないと「女流棋士の本」といって売り出してはいけないでしょう。

 女流棋士の本とありますが、正しくは女流棋士個々人の本です。ページを繰ってビックリ。タレント本のような構成にあんぐりです。完全に勘違いしていますね。女流棋士とは、将棋指しがたまたま女性だった、ということですよ。将棋指しとしての評価が先で、棋風やら実力を背景に、彼女達について語るのがセオリーです。ところがこの本は、そんなところは意識的に外し、顔写真やらエッセイやら対談でページを埋めている。まるで女性誌のような内容の薄さです。いくら、「さまざまな角度からスポットをあてた」本とはいえ、棋譜が一つもないってどういうことですか? 本業である将棋の内容以外がもっぱら掲載されるのは女流棋士達にとって大変失礼なことだと思うのですが、本人達にはその自覚がないようです。しっかりしてくれよ(嘆)。

 評価できるのは巻頭の中井、清水のインタビューぐらいか。女流史は上っ面を撫でただけで踏み込んだところもないし、社会に与えた影響とか、なんつーかもっと総合的な女流の評価っていうのか、そういう話がほとんどでてこない。こんなのだったら、資料があればサルでも書けるっちゅう話だ。FAQにしたって、そんなことよりもっと聞きたいことあるだろ。年間の対局数が7局しかない人の生活はどうなっているのか、とかそもそも生活できるほど給料をもらえるのか、とかどうして定跡書を出したり、専門的な講座(駒を動かそう、とか、簡単な手筋の解説とかじゃなくてよ)を持ったりしないのか、とか今後の女流棋界の行く末について聞いたりとか、待遇改善の要求とか、どうして綺麗な顔写真を使わないのかとか、女流を分ける必要があるのか、とかそもそもどうして分けているのか、とか、対局に身を入れないのはどうしてなのか、とか。知りたいことがことごとく載っていないんです。

 こんな本を出すこと自体、女流のレベルを物語っているのではないかと思わずにはいられません。対談でも愚痴ばかりで、今後の女流はどのような方向に進めるべきか、というまじめな議論になっていない。井戸端会議を聞かされるのは苦痛です。この人たちも只の将棋強い姉ちゃんなだけで、棋界の将来を担うという意識なんぞ、かけらもないんですよ。誰かに任せておけば安心だと思っているんでしょうなあ。解ります、解りますよ、その気持ち。誰だってまじめぶるのは格好悪いし、責任だって負いたくないものね。日本将棋連盟が死に体だっていうのに、どうして女流だけまじめにやらなくちゃいけないのとか思いますよねえ、そりゃあ。

 あるいは、まじめに考えている、というかもしれないね。だけど、あなた達の場合は頭でっかちで、現実というものを知らなすぎるんだ。現実社会と棋界の発展にはお互い齟齬があるから、そこをなんとか擦り合わせていく努力が常に必要で、これが結構大変なのよ。でも社会ではごくごく普通に行われていることなのね。おぼっちゃん、おじょうちゃんにはわからないかも知れないけれどさ。

 こんな本作っている暇があったら、一つでも二つでももっと誠実に、将棋ファンが本当に求めているものに真剣に耳を傾ける努力が、とっても当たり前なんですが、必要なんですよ。そうすれば、もっと中身の濃い、材木資源を無駄する本にはならなかったはずです。わかってますか、駄目な本を出せば出すほど、評価が落ちるのですよ。


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初版公開:2003年5月24日 最終更新:2003年5月31日
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