弟子を取る

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 森下八段が弟子を取って指導をしているそうですね。とにかく棋譜を並べて呼吸を掴めといっているらしいです。森下八段は奨励会時代、師匠の花村九段につきっきりで指導対局して貰ったという将棋界では珍しい経歴の持ち主ですから、将来は自らが稽古をつけるのかもしれません。もっとも近年の米長永世棋聖のように、弱った棋力に活を入れるため、若い才能を吸収する意図もあったりして。

 谷川九段も弟子を取っております。都成竜馬といって奨励会で頑張っているようです。名前が「竜馬」って、名前に迫力がありますな。成った大駒2枚が刻まれているのですから、生まれながらにして将棋の道を歩むように決まっていたのかもしれないです。まあ、将棋で失敗しても、同じ名前の先輩に大政治家がいるのですからそちらの方向もありかもしれません(っていい加減なこと書きすぎ)。将棋っぽい名前では矢倉四段や、大野八一雄(将棋の桝目が81個あるのにちなんで)がおります。あまり派手な成績でないところが、ちょっと物足りないですねえ。名前負けなのかしら。

 名前といえば、内藤九段。師匠の苗字が藤内(ふじうち)八段といって内藤の二文字が逆さなんですよね。で、今抱えている弟子の苗字といえば、これまた藤内。藤内、内藤、藤内。どう考えても冗談で弟子を取ったとしか思えないよな。いいのか、そんなんで!(将棋世界で奨励会員調べてみたら藤内君いなかったなあ。勘違いかしら?)

 桐山九段には師匠が二人いたことはご存知でしょうか。初代師匠はかの升田(ますだ)実力制名人。小学生だった桐山少年は一ヶ月もせずにホームシックにかかりすぐさま帰郷してしまうのですが、それを惜しんだ升田はおなじ響きの増田六段に桐山少年を弟子にさせたのでした。ははは。さぞかし心細かったのでしょうねえ。あの升田さんだもの。

 内弟子としては最後だっただろうといわれているのは先崎八段ですか。米長永世棋聖のご自宅で林葉直子ともに雑用をこなしながらヌクヌクと育ったらしい。当初は佐瀬八段門下だったんだけど米長門下になりたいと駄々をこねて無理矢理弟子入りしたとか。困った性格は昔からです(笑)。

 弟子を取るのは師匠からすれば金や時間が掛かるばかりでメリットがないそうだ。特に住み込みではね。最近では通い弟子が全盛だし、名前だけを貸している棋士もいるみたい。昔は〜一門には負けるな、とかいう派閥争いもあったみたいだけど、今ではそういう雰囲気は失われてしまって、世代での争いに争点が変わってしまったようです。派閥争いも見てみたいけどね。


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初版公開:2002年4月13日 最終更新日:2002年4月20日
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