小学生の頃

double crown

 小学生の頃は一局10分もすれば決着がついた。指し手は条件反射のように、息つく暇もなくどんどん進んだ。負けてた方が「もう一回!」と叫んで、すぐに駒は並び直される。子供同士だと体力も集中力もたっぷりあるので、脳が疲れるということはなかった。疲れたのかもしれないけれど、本人は気づかなかった。だから一日10局は当たり前。平気で指していたものだ。将棋に飽きれば校庭にでて野球や鬼ごっこなどをよくやった。それが飽きるとまた教室に戻って対局した。

 当時、正課のクラブに将棋クラブがあった。もちろんそこに入部した。水曜日の5時間目が正課クラブの時間だ。毎週楽しみだった。このクラブでは学年は関係ないので、高学年の人たちとも指すことができた。レベルが違うので歯が立たなかった。が、楽しかった。そのクラブには用務員さんも参加していた。その小学校で最強だった。あるとき担任の先生と対局していた。先生は振り飛車、僕は居飛車、船囲いだった。その対局は頓死して負けてしまったのだが、小学生がきちんと船囲いをしているのが珍しかったのだろう、見ていた用務員さんが「強いね、君」といってくれたのがうごくうれしかった。

 違う学級に将棋が強い奴がいる、と聞くとさっそく対局を申し込みに行った。当時はにかみやの僕は本人を前になかなか言い出すことが出来ず、友人を通じて対局をお願いした記憶がある。あの頃はウブだったのだね。相手はツツイ君といったけな。お互い飛車を中央に据え、両銀を繰り出していくという今思えばほほえましい戦形であった。って、今もあんまし変わっていないな。で、勝ったんだけど相手はひどく勝負に淡泊で意にかえすそぶりも見せない老成した小学生だった。もっと悔しがれよ!

 母方の実家にいったとき、おじいさんと2、3回指してもらったことがある。おじいさんは一手一手によく考えて指していた。僕は一手指す事に暇になるのでお菓子を食べたりみかんを喰ったりしていた。ぱちり、と音がすると向き直ってすぐ指しまたお菓子を食べたりしていた。僕が攻め、おじいさんが受け。そこでおじいさんは自陣に桂を打った。「なんでそんなとこに打つの?」「指してみればわかるよ」「ふうーん」 で、攻めていったんだけど、結局その桂が効いていて攻めきることができなかった。大人はすげえなあと思った。おじいさんはうまそうに煙草の煙を吐いていた。もう一局とせがむと「おじいさん、疲れた」といって笑っていた。


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初版公開:2001年05月26日 最終更新日:2001年06月02日
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